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帰る場所 [カナダ]

1週間連続の大学院生の講義にフルで参加させてもらい、弾丸トークで全身を耳にする時間を過ごしました。この講義は卒業直前の「PROFESSIONAL CONSOLIDATION」いうタイトルのもので将来の自分を考えさせるような内容の講義です。話し合いが多いインラタクティブ形式です。その中で担当教員の友人(ベテランのPT)が3名見えて、自分のキャリアについて話してくれました。転職のきっかけになった災難、病院の考えとのギャップ、家族、結婚についてなど。それに対して院生がする将来に対する不安の質問は、映画でも見ているようで迫力を感じました。40代のPTが今でも患者を見るときに怖くて震えるときがあるんだ、そういう感覚は大事なんだ。皆はこれから初めて患者担当するんだから、最初からうまくいかなくていいんだ・・・(ただ半分くらいしかわかりませんでしたが)。皆さん、この仕事はいい仕事だと誇りを持っていることを感じました。事業主になる場合と雇用される場合でどのように経済的状況が異なるのか、ファイナンシャルプランナーのレクチャーがあり、キャッシュフロー、クレジットスコアなどの話を聞きました。その後、オンタリオ州のアドバイザーPTが来られて、免許の話になり免許維持については日本と似た部分も多かったのですが「何もしないと登録者から除かれる」システムは日本より厳しいと感じました。また患者さんとの人間関係の作り方やソーシャルメディアの注意点など最近の問題は共通していました。面白かったのは「臨床指導者として持つべきコンピテンシー」の講義で、日本の臨床実習指導者の方へ持つイメージとこちらの学生が臨床実習で感じたことはほぼすべて共通していると感じました。流石に職種というのは侮れませんね。逆にもうちょっと違うのかと思いました。話題によってこちらの理解度が全く異なるのは知識や経験による準備状態によることがよーくわかりました。自分で守備範囲を決める重要性なんですかね。
先週からKindleで毎日1冊読破を課すようにしております。苫米地英人さんと堀江貴文さんの書籍を1日違いで読んだおかげで共通点が浮き彫りになりました。いかに自分だけの幸福を見つけ、追及するか、ひとつのことに無我夢中になろう。やりたいことをやるから、集中力も生産性も上がるのである。ゴールを目指せということです。二人の風貌から意外な感じもしましたが、意味のない感情に左右されるな。抽象度を上げていくことで自己中心であることから解放される。ということには完全に同意いたします。
 例えば、このWestern大学大学院には本当に多くの国から若者がきています。カナダの移民への太っ腹政策もあるのでしょうが、ある国からきている院生に聞いたら「国には帰りたくない」と言っていました。「ああこれは、私とは異なる感覚だ」と思いました。私には日本人の慣習が染みついてこの感覚にはなれないし、日本の理学療法の減速を憂う気持ちもあります。そういう意味では私はグローバルではないなと思いました。でも日本の若者はますます海外に出なくなっていると聞くし、小さなコミュニティばかりでの勉強会などに参加して、新しいものを作ろうというような気概はあまり感じられない。流行りに左右されて動かされる姿はこの二人の指摘と一致するように思うんです。若い人には、システマティックレビューも大事かもしれないけど、色々わからないことだらけのことを解決するためには、小さな資格を取ることよりも、「新しいことを創ったり考えたりする」人になって欲しいな って思ってしまいます。自分の国には帰りたくない、帰れないと思うような、退路を断つ考えは安全な日本のPTには考えにくいのでしょうかね。年寄の譫言でしょうか。
 写真は図々しくも島川先生のお住まいにお邪魔したときのものです。先生のお住まいは綺麗で素敵で奥様の料理も美味しかったです。奥様はスポーツをたくさん手掛けてきた元アナウンサー。一瞬夢を見たような感じでした。安いUberで帰った自分のアパートで現実に引き戻されました。スーパーにも老眼鏡もっていかないと細かい字が見えず、老眼で牛肉とラム肉を読み違え、臭いカレーライスを作って息子から文句を言われました。58歳なんとかやっております。
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